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犠牲 サクリファイス 

こんな生活をやっていても大丈夫なんだろうか? と、ときどき思う。

 家族をパジャマで送り出したあと、おもむろにゆっくりとインスタントコーヒーを飲み、ブログを書く。

 ちょっと話がそれるけれど、私にとってのブログは、当然ながらライターだから書く練習のためと仕事の合間の息抜き。日記ではない。日記は、ただの報告に過ぎない。せっかく読者がいるのだから、そこに物語がないといけないと思っている。ライタースクールでも言われた。「読者へのプレゼントは何? この文章を読んでよかったと思えるものを書きなさい」と。なので、単なる日記で終わってはいけないと思っている。ノーギャラだから、「つまんなかったからお金を返せ」と言われるわけじゃないけれど。でも、せっかく貴重な時間を私のブログを読むのに費やしてくれているのだから、読んでよかったと思われるような文章を書きたい。

えっ、いつもつまんないって? 申し訳ありませ~ん

 で、話は戻って、ブログを書いたら犬の散歩。私が自己と向き合う貴重な時間で、思索の時間でもある。荷の重い仕事がくると逃げ出したくなって、原稿の締め切りが遅いのをいいことに、なかなか取り掛からない。文章を練らないと書けないというのもあるけれど…。

 そんなわけで、公園をブラブラと1時間ぐらい散歩する。雨でも…。

 そして、思う。世間の人は働いているのに、私は朝っぱらからブラブラしていていいんだろうかと。とくに、近所の人に会ったときは背筋が凍る。「いいわねー、まりこさんのところは。お嬢さんを二人も私立にいれて、立派な家も建てて、働かなくていいんだから」いや、あの、その、ライターなんです、と言いたいけれど、言ったって理解してくれないよね、たぶん。以前も言ったけれど、全然記憶にないみたいだし。だいたい、昼間っから家にいるわけだし、遊んでいると思われてるよね。うーん、理解して欲しいとは思わないけど、その目はやめてー。健康な若者や、十分働く能力があるように見える人間が家にいるということに対して、世間の目は冷たい。私でさえ、そう感じるのだから、心に病を持つ人だと、その視線は突き刺さすような痛みを伴っているに違いない。

 先日、柳田邦男さんの「犠牲 サクリファイス」を読んだ。内容は、柳田さんのご子息”洋二郎さん”が自殺を図り脳死となり、亡くなるまでの11日間を描いたもの。脳死の問題は別の機会に語るとして、洋二郎さんが、「生きていても仕方がない、自分には生きている価値がない」と悩み苦しんだ末、自殺を図る。目の怪我がきっかけで対人恐怖症になり、心の病気になってしまった洋二郎さん。社会に出て行きたくても、出て行けない。繊細さゆえに、心の傷つきかたは一般人の理解を超える。彼の心の闇を誰も理解することはできなかった。孤独の苦しみを克服するためには、命を絶つことしかなかったのか。後悔と無念が、残されたものの胸にいつまでも残る。

 しかし、洋二郎さんは孤高の天才だったと思う。文学が好きで、彼自身も思いの丈を書き綴る。書くことによって、自分の内省を昇華させようとするかのように、大学ノートにびっしりと書きまくる。そうすることによって、彼は己と向き合い、いや、そうすることでしか、自己と向き合えなかった。外に向けることはできなかったのだから。もし、彼の出版された本を読むことができるのであれば、いつか読んでみたいと思う。

 世間でニートと言われる人がいる。働かないのは、甘えているだけだと言う。私もそう思っていた。でも、洋二郎さんのように、苦悩している若者もいるに違いない。何もしていないからといって、甘えていると勝手に判断しないで欲しい。何か事情があるかもしれない。心の中は誰にも見えないのだから。
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[2006/09/25 14:43] | TB(0) | CM(0)

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